自己嫌悪について考えよう(提案)
”名誉心と虚栄心ほど混同されるものはない。しかも両者ほど区別の必要なものはない。この二つのものを区別することが人生についての智慧の少なくとも半分であるとさえいうことができる” _哲学者・三木清
突然ですがあなたは嫌いな人はいますか?
会社の嫌〜な上司、バイト先によく来るクレーマー、仲違いをした友達、別れたあの人、なんとなく気が合わない人。
さらに広義に言ってしまえば男性が嫌い、女性が嫌いと言った性別的な分野まで。あ、レイシストは差別をしているだけなのでおかえりください
そんな嫌いな人がいるいないだのの中で少し異色なものが自己嫌悪ですね。
要は自分が嫌いだ!ってやつです。今回はそこについての考えをだらだらと書いていきます。
自己嫌悪に陥る原因って大体が
- 周りとの比較による劣等感
- 決めていた目標が自己評価では達成できていなかった
- 自己方針を守れず酷く後悔する
みたいなもんが出てくると思います。
まぁ根底は大体そんなもんだと思いますがそれで終わっちゃうとお も ん なで終わってしまい私の自宅が特定され毎日なんか臭いレゴブロックを送りつけられると思うのでもう少し駄弁って自分なりの自己嫌悪の分析をして行こうかなと思います
そういえばこの記事の一番最初の文読みました?なんか哲学家の言葉載っけてるやつ。一度でもいいからやってみたかったんだよね〜
で、あの言葉なんですが虚栄心はみんなよく聞いたことあると思います。
遊戯王知ってる人ならだいたいは知ってるあの海外にて「この獣人ぽいやつ黄色い男のち◯こしゃぶってるように見えるから修正するわw」のカードのあの虚栄ですね
どうやったらそういった視点で見れるんだよ。
まぁそんな虚栄心と紙一重〜って言われているのが名誉心ですね。
だいたいの意味は文字通りって感じなんですけど敢えて言うとすれば
名誉心は自分を意識した心持ち
で、虚栄心は周りを意識した心持ち
みたいなもんなんですよ。(???????)ってなってる人ように考えるとすれば
名誉心「自分は周りから尊敬されるような偉い医師になりたい!だからその為の行動をしていく!」で
虚栄心「医師って周りから尊敬されるから偉い医師になりたい!だからその為の行動をしていく!」
みたいな感じです。極論を言っちゃえば動機に起因するものが自分か周りか、みたいな感じでいいと思います。結構どっちも似たようなもんですが意識のベクトルで捉えればそれとなく違いが見分けられると思います。解釈違いの人はコメント欄にて是非熱弁によるご指導を願います。
この二つを見分けられないと人生の半分位はある智慧が得られないっぽいとも言えるっぽいらしいっすよ。
まぁ哲学の分野なのでその辺は自己解釈でお願いします。
例えばこの記事自体も自分が自己解釈を文にして表現したいからって訳じゃなく周りに自己解釈を押し付けたいがために書いているかもしれませんね。
自己嫌悪の話に戻します
周りと比較して生じる劣等感から自己嫌悪に〜ってありますがまぁ実際劣等感って自分を貶めてしまう魔の感情ですよね
そんな劣等感の原因にもなりうる周りを使うことで自分を取り巻く環境の状態を知り本当の自己を獲得する方法で鏡映的自己というものがあります。
段階としてはざっくり言うと
- 自分の姿が他者にどのように思われているかについての想像をする
- どういった自己感情が生じるか?
- 他者の反応を自分の次の態度・行動へどう繋げていくか
みたいなもんですね。セルフモニタリングの手法に似ていますがアレは今回省きます
これ、要は本当の自分とは自分自身ではわかんないよ、周りの人の反応が鏡になってるからそれ見てみよ?みたいなものでそれ(周りの人の反応)を見ることで本当の自分を導き出せるよん見たいな理論なんですが、まぁ概要は分かります。
ちなみにこれ結構昔の理論(適当)なんですが今は2020年。社会で生活を送る上で人に対して様々な対応を強いられることが当たり前である現代ではとある問題があります。
それは もし周りに抑圧している状態の自分(偽っている状態)のまま接していたら周りの反応を見たところで本当の自分は偽っている自分ということになった。 というまるでゲームのルートを意図的に矛盾させてバグらせるような現象が発生するんですよ。
要は手順2の部分で劣等感と言うか困惑したり葛藤したりするんですね。
こんな状態が発生してしまったら最早鏡映的自己なんて博識ぶったこといっている場合ではなく本当の自分を発見する予定のはずが偽ってた自分の姿を突きつけられることによって鬱を引き起こしてしまったり自分をさらに見失ってしまう状態に見舞われます。
まぁカウンセリングだのなんだので回復できたらいいんですがいっちゃん(一番)まずいのが偽って周りに接していたことによって’本当の自分を出せずにいる本当の自分’を嫌悪してしまう状況だと思います。
本当の自分を嫌いになっちゃった以上最早相談とかじゃなくて本当の自分をどう好きになっていかに周りに提示していくかの自分次第依存の中々な難易度になってしまうんですよね。
人は三日で変われると言いますが「自分がこうなりたいからこうしている!!」といった名誉心に基づいて行動したのではなく「周りによく見られたいから自分はこうしている!!」のような虚栄心に潰されてしまってはどうしようもないですね。
嘘のIKKO「偽(いつわり)〜!」
劣等感を抱いたとしても周りのレベルが高いだけ、といったものや周りが優秀なら楽ち〜ん笑 みたいな楽観的な感情が出ない以上自責の才能は人一倍ありそうですがね。
次にいきましょう
劣等感もそうっちゃそうなんですが他に前述したザックリの原因にある目標や方針を守れなかった〜そんな自分が嫌いだ!!ってやつなんですけどもしかしたらその自己嫌悪、本当は自己嫌悪では無く哀願かもしれませんよ
心理学の一説では哀願とは”相手の擁護を求めて自分がいかに弱く可哀想なものであるかを演じる戦略。”とされており、1987年の研究結果では女性は魅力的な男性の前ではわざと成績を悪くしたり、わざと食べる量を少なくするという結果が出ているそうです。これを文章において行った場合、(哀願的な自己否定文)な自分が嫌だ!といった風にも作れちゃいますよね。
何が言いたいかというと自分が嫌いというものは飾りであって真の狙いは哀願によって得られる同情や擁護こそが真の狙いである自分可愛い人間が作り上げた自己嫌悪もあるという訳です。
某青い鳥のSNSでもよく見かけるアレですね、詳しくは言いませんよ。炎上したくないもん
ところでホラー映画であるIT、見ました?え?タイトルとキャッチコピー?
IT -ソレ(主に囲いがめっちゃいる際どいレイヤーとかなんか知らんメンヘラとかがどっからともなくTLに流れてきてお涙頂戴投稿しているやつ)が見えたら(この記事みたいにねじ曲がった性根で投稿を見てしまい殺意しか湧かなくなってソレに囲いのクソゲボキモいリプが相まって気分的に)終わり-
だったと思いますけど、どうかしましたか?
なんか3000文字超えそうなんで今回はお開きにしましょうか。
最後に、
自己嫌悪をして哀願なり腐るなり病むなりするのはもちろん自由です。しかしそれを見た周りの人はあなた以上にあなたのことを嫌っている、あるいは嫌いになったかもしれませんね。
それでは僕は自然解凍してた馬刺しを見にいってきます。さようなら
引用および参考文献:心理学概説 ー心と行動の理解ー 松田隆夫 編 初版1997,12,10 初版第17刷2018,2,5