最後で台無しにするのが常識の世界

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このブログの記事は全て個人的な意見です

「死」のお話し

死ね、死にたい、死ぬ、死んでる ネットでよく聞く(見る)馴染み深いワードですね。

今回はその「死」について話していくよ。

 

実際「死」というものは人類どころか生物にとってはとても馴染み深いものであり毎日どっかで誰かが死んでます。 そんな「死」ですが日本人ってその「死」を滅茶苦茶他人事のように捉えていることが多いんですよね

皆さん経験しているかと思います。

・親族の死

・ペットの死

・友人の死

・赤の他人の死

・知り合いの死

その他諸々ありますが成人済だとある程度の死は網羅してるかなーと思います。 でも、そんな中で皆さんが唯一知らないものが「自分の死」です。

 

「若いうちに死にた〜い」とか「長生きした〜い」とか、皆が皆、色々な考えを持っているかと思いますが「死」だけを真っ直ぐに考えたことって中々無いと思うんですよ。

一つ例え話をしましょう。

 

※あなたは病院で検査をした結果、末期の大腸がんと診断されました。遠隔転移も認められ、手術といったものによる根治(ガンを完全に無くすこと)は望めません。今後は化学療法から緩和ケアへ移行しつつ自宅への退院予定です。余命は3ヶ月ほどと予想されています

さあどうする?

 

まぁ出す結論は人それぞれだと思いますが共通して感じるかと思われるものが漠然とした「死」だと思います。

大体の人は逃れられない死に直面して初めて自分の死を考えると思います。そうじゃなきゃ「何か方法があるはず」「自分が死ぬなんて信じられない」「どうせ生きていられる」といった考えが浮かぶと思います(実際死への受容段階で絶対こうなります)。

でも考えてみてくださいよ。人間いつか絶対死ぬんですよ。

「何をそんな当たり前なことを(笑)」って思う人もいるかと思いますがその当たり前の事を他人事にしてるのが大半の人なんですよ、僕の言いたい事はそこなんです。

 

死とは起こってはいけない事、見たくないもの、といった一種の信仰染みた考えがあってこそのものではありますよね。

実際、現実で気軽に「死」に対する話題って出ないですよね。

あるとしたら酒飲んで酔っ払って、少しセンチメンタルな雰囲気になったとき

「なぁ、人って死んだらどうなるんだろうな…」

なんて言って適当に受け答えをして翌日思い出して鳥肌を立てたりとか。

 

もう一度言いますが人間っていつか絶対死ぬんですよ。

問題はそのいつか来る死に対して

・死ぬまでに○○したい

・○○してとっとと死にたい

・若いうちに遊んでとっとと死にたい

といった生きてる間のことにフォーカスを当てた甘ったるい考えよりも

もしかしたら20代半ばに来るかもしれないし老人になってから来るかもしれない、そして事故や災害、病気、寿命といったどんな風に来るかも一切予想のできない「死」にフォーカスを当てた考えが必要であり、そのように考えていきたいですね。

「死」っていうのは予想出来ないものなんですよ。

いつ死ぬかなんて決めれないしいつまで生きているかも人間が好きに決めれるものではありません。

貴方の何十年も生きた中で構築された完璧で計画的な死生観、ちゃんと「死」を計算に入れていますか?

 

 

 

 

唯一自分で「死」を決めれるもので自殺がありますけど自殺も計算に入れる人なんていませんよね。

自殺って苦しみから逃れたくて行う愚行であって誰しもが救われる方法があれば迷わずそちらを選ぶんですよ。

先ほど例でお話ししたガンでも、もし根治が可能で健康に生きられ且つ寿命がグンと伸びるの治療法があれば大半の人がそちらを選ぶのがほとんどだと思います。

自分一人で抱え込むことは救済ではなくゆるやかな自殺への一本道です。この現代において一人で抱え込まずに済む道は沢山あります。

 

最後に、もし死にたいと言う言葉を発する事も出来なくなるほど追い詰められている人が見ていたらどうか聞いてくだい。

自分が強く生きなくてもいいです。人は単独より多数のが絶対に強い生き物なんです。

弱い自分を受け入れるか目を背けるかは個人の在り方として自由ですがその弱い自分を守る為の壁を、病院の相談窓口や心療内科、ありきたりですが自殺防止センター等で築き上げてください。

 

あ、そこまで深い関係でもない友人とかだけはオススメしません。

そういう話する時って大体感傷的な空気に酔って責任も何もないその場しのぎの痛すぎる馬鹿な音しか発してこないですから。

近くの馬鹿に頼るくらいなら遠くの有能に頼りましょう。

残酷ですが事実として、救われる為には努力が必要です。蜘蛛の糸を垂らすことはして貰えますが登るのは自分自身で行うことを忘れないでください。

 

それじゃあまたいつか